花月楼女将

 明治初期から中期にかけて、羽振りがよく、而かも、よく気がつき、人情に厚く、評判のよかつたマダムと云へば、久保町の賣茶の女将であつた。全く彼女は、稀れに見る厳格な女性で、小言もよく云つたが、しかし、その半面には、又とてもよく気がつき、人情厚くもあつたので、その頃の彼女の人気は素晴らしいものであつた。これと殆ど、正反対な女将として、評判を博してゐたのが、花月楼のマダムであつた。本当に彼女は、女性としては、不思議な位ひ鷹揚で、女中たちや、藝妓たちに、どんな大きな過失があらうとも、文句ひとつ云はないと云ふ鷹揚さであつたから、彼女をとり巻く女性の中には、可なり悪辣なことをやつたものもないではない。が、しかし、それを知りながら、故意を、小言を云はない處に、彼女の評判は高かつた訳けである。

 事実、彼女は、男優りの性格で、こせつくことが大の禁物だつた。そんな訳けで、好景気の時代など、湧いて来る程儲かつた金を何んの躊躇もなくばら撒いた程の彼女でもあつた。最も主人の平岡氏は、彼女以上の鷹揚さであつた。(石角春之助『銀座女譚』丸之内出版社 昭和10年