花月楼女将(その4)渡欧

 巴里は七月の中頃から曇天と微雨とが続いて秋の末方の様な冷気に誰も冬衣を着けて居る。此陰鬱な天候に加へて諒闇の中に居る自分達は一層気が滅入る許りである。御大葬の済む迄は御遠慮したいと思ふので芝居へも行かない。独逸から和蘭へかけて旅行しようと思ふが雨天の為に其れも延び勝ちである。
 和田三造さんから切符を貰つたので巴里の髑髏洞を一昨日の土曜日に観に行つた。予め市庁へ願つて置くと毎月一日と土曜日と丈に観ることが許されるのである。自分は一体さう云ふ不気味な処を見たくない。平生から骨董がかつた物に余り興味を持つてない自分は、況して自分の生活と全く交渉の無い地下の髑髏などは猶更観たくないが、好奇心の多い、何物でも異つた物は見逃すまいとする良人から「自動車を驕るから」などと誘かされて下宿を出た。零時半の開門の時間まで横町の角の店前で午飯を取つて待つて居ると、見物人が自動車や馬車で次第に髑髏洞の門前に集つて来た。中に厚紙の台に木の柄を附けて蝋燭を立てた手燭を売る老爺が一人混つて居る。見物人は皆其れを争つて買ふのである。其内に和田三造さんと大隅さんとが平岡氏夫婦を案内して馬車を下りるのが見えた。自分達もレスタウランを出て皆さんと一緒に成つた。(後略)

与謝野晶子「髑髏洞(カタコンブ)」与謝野鉄幹・晶子『巴里にて』)