花月華壇

向島花月華壇

〔桜のトン子ルも最早昨日の夢となつて了つたが、香床しき若葉の葉隠れに、後れ咲の姥桜をたづねて、墨陀の堤に暮れ行く者の名残を惜む情深き人の為め、花月華壇を御紹介申す。〕

               花月華壇主人

▲先づ此花壇の起源と申しまするのは、二十七八年日清戦役の後世間の景気がグツと直りました結果、新橋の私共本店も随分繁昌しまして、借金の皆済も出来た上、多少余裕も出来ました、而も其れは私が三十七八歳の時でしたが、是迄国家の為にお尽しになつた方々をお慰め申す様な事を致したいものだと種々考へましたが、左りとて慣れない商売を致すのもつまり失敗の基で御座いますから、それで斯様なことを致す様な訳になつたのです。

▲最も初は料理は致しません。唯花園一方で、自分の楽みがてら、先ア私設の公園とも倶楽部ともいつた様に皆様の御遊び場所と致したのですが、段々貴紳方がお出で下さる様になり、何か食べるものを拵えろと仰しやいますので御座いますけれども、何しろ近所に植半もあり八百松もあるといふのに競争がましくやるのも面白くありませんから、西洋料理をすることにいたしました。

▲西洋料理は初めてからまだ五ヶ年しきヤなりませんし、田舎で自慢の様ですが、帝国ホテルやメトロポール等には決して負けない積りです、其代り市中の並の料理よりは五割方高くなつておりますけれども、それだけ材料が違つて居るのです、コツクは栗田と申しまして、本は鹿鳴館に居て、それから帝国ホテルに開業の時から私が雇ふまで居つたのです。

▲併し御客様も、皆々西洋料理を召上がるといふ訳でなく、中には御嫌いな方も御座いますから、傍ら日本料理もいたします、併それも向島御約束の蜆汁、小鳥の焼鳥位であとは有合の品でお惣菜を拵らへて居ります、日本料理の事に就いては弦齋さんや米僊さんの御書きになつた物を拝見して居るので御座います。

▲お客間には西洋館と日本館、田舎屋造り其外、植木室、馬繋場、馬車置場、厩、湯殿是は可なり念を入れて成るべく清潔にと衛生上の注意をしてある積りです。

▲庭園の方は園遊会を御引受致したり、又外人を宿める室も設けてあります、音楽室にはピアノが備付けてありますし、美術室には種々な油画を備えて置きます。

▲又貸席の方には茶室、其外碁、将棋、歌俳諧謡曲等のお客様の為に遺憾なく準備を整へてあります。

▲又墨堤倶楽部の方には、玉突場、大弓場もありますし、其外貸ボート、釣堀等もあります。

▲それから西洋料理、日本料理だけでは、余り手重くなりますから、酢、汁粉、団子なども彫進致します。

(略) (「月刊食道楽」第二巻第六号 有楽者 明治39年