新橋花月楼(その6)三井

(二)

 火吹達摩も尻が暖れば湯気を吹く。豈夫れ三井家の奉公人のみ懐中暖りて気を持たずに我慢がならうか。重役と云はず使用人と云はず、相当々々の制札は何時か踏折り、衣食住は不相当に贅沢を尽し、娯楽は不相当に度を過し、貯蓄は不相当に太くなつた。吝なものもある。神妙なものもある。溜らないのもある。が、大概な処迄は有頂天に浮いて騒いだ。新橋の花月は其時に新しい普請が出来た。三井銀行から融通した三万円は、返つたとも返らぬでもなく棒引きになつた。いかな晩でも花月には三井の人の馬鹿騒ぎが幾組も天井を抜いた。自然白粉の匂も嗅分け、花札の裏も読むと云ふ大変な団栗が新道の溝板を転げ合つた。中上川彦次郎其人が既に大百四天満を引いては六方を踏んで月落ちての御帰宅とあるから溜まらない。皆テンデだらしかなかつた。昼は銀行にも物産にも四角な顔三角な眼が忙しく動き、斯業界のお手本は揃つて居るが、夜は行当りばつたりに右の始末、下地は好きな三井家主人側の旦那方、下を見倣ふ逆縁ながらと得手に帆を揚げた騒動だ。過般物故した三郎助が遠見に苦り切つて茶を立てて居たのが、いかにも是ならば三井家の御主人筋と見受けられた外には、誰も彼も氳気に中つた顔の伸びやう、潮合を乗過して、内田山から閉門の差紙をつけられたのも二三人、三井家の上下滔々として歌吹の海に巻込まれて仕舞つた。(実業之世界社編『三井と三菱』実業之世界社 大正2年